2016.11.17

「源流」~土場(どば)~

11月17日(木曜日)
 江差町柳崎。
 そこは昔、どば、地元の人たちの言葉では「ドンバ」と呼ばれる土地だった。

 亡き父の生まれ故郷であり、江差生まれで道南育ちの自分は、父方の母つまり「ばっちゃん」や同年代のいとこ達が住むこの土地にしょっちゅう連れていってもらい、遊んでいた。
 納屋があり、サイロがあり、馬や牛が何頭もいるばっちゃんの家。かやぶき屋根の民家が連担し、玄関入って裏まで続く土間、便所は「離れ」にあり泊まったときは夜中におしっこしたくても怖くて我慢した。

 今でもある厚沢部川が、幼い自分たちにはまさしく大河と見えた。
 部落のすぐ横を悠々と流れる川。上流から切り出されたヒノキを陸揚げする土場としての喧騒を見た記憶はない。その時代はとうに過去のものとなっていたようだ。
 川にまつわる一番の想い出はヤツメ漁だ。 
 冬、厚い氷に覆われたその大河の上に大勢の大人たちが集まり、氷を切り出す。円形に開けた穴に、竹ぼうきの巨大なヤツ(に見えた)を突っ込み、しばらくして引き上げる。するとその中にまさにうじゃうじゃと、「ヤツメウナギ」が絡まりついている。
 張りつめ、凍てついた空気。大人たちの白い息。あの映像が、いまでも鮮明に脳裏に浮かぶ。

 ばっちゃんの家には、寝たきりの「じじ」。そして、大嵐の中、停電したお寺で挙げた「じじ」の葬式。
 朝の空気と、暗闇に差し込む日の光。サイロの中の藁の強い匂い。馬の体温。牛のぎょろめと生暖かい乳。

 明るいというよりもどちらかと言えば暗い、沈んだトーンのイメージが、しかしながら、極穏やかに優しく、記憶の奥深くに残っているあの頃、あの場所。

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 今般、10年ほど前にシーニックバイウェイ「どうなん追分」を立ち上げる活動に力を入れていた頃に偶然出会い亡き父を知っているという話から、実は親戚だと知らされた「松村隆さん」。
 文芸誌「江さし草」の編集者であり、追分会館の館長などを歴任し、今でも写真家として文学家として地元のために積極的な活動を展開しているかっこいいオヤジである。

 その松村隆さんが最近自費出版した本「源流」を、江差の歴町商店街前会長室谷さんを介し、送ってくださった。

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 「ドンバ」とその時代を松村さんなりにまとまてくださった、濃い内容。付箋がつけられたページには、家系図、そして今でもかの地で暮らす親戚の名前にマーキングまでしてくれて。

 こんなありがたいことは滅多にない。

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2011.05.30

出張土産のLPレコード

5月30日(月曜日)
 小学生の頃、道南の小さな街に住んでいた。
 父親がたまに函館へ出張にいく。必ず、お土産は何が良いか と聞いてくれた。
 自分は大抵、折に触れてデカイものを買ってもらう魂胆があるから、「今回はいい」と断っていたのではないかと思う。
 (正直記憶が薄く、日常のスタンスがそうだったから出張土産の注文取り対応もそうしていたのだろうと今の想像半分ではある。)

 ただ、ある時期、必ず頼むモノが出てきた。LPレコードである。カーペンターズ、ビートルズ。洋楽に目覚め出したあの頃。何枚が父の土産だったのかは覚えていないが結構頼んだ覚えはある。
 父の帰宅が待ち遠しく、目当てのLPを手渡されたときは本当に嬉しかったものだ。

 今、自分の出張でLPレコードを子供から頼まれたら、どうだろうかと考える。
 あんな デカくてかさばるもの。カバンにも押し込めることもできず、デリケートな扱いを必要とする。
 あっさりと却下しないとも限らない。
 もっとも、今ならCDだ。普通にカバンには入れられるし、「パソコンでダウンロードしたら?」という手もある。

 あの、無骨な父が手荷物と一緒に子供の土産のLPレコードを抱えて出張先から帰ってくる。バスから降りる。そんな場面を想像すると、少し笑える反面、熱い塊が、胸につかえてくるのを抑えられないのである。

          * * *

去年の5月30日 世界卓球を終えて

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2010.11.15

龍馬記念日

11月15日(月曜日)
 朝からぐっと気温が下がり、白いものがちらつく そんな一日の始まり。
 午後から三石~当別あたりの山中の現場へ。途中、トラピスト修道院の正面からルルドへのアプローチ入り口駐車場まで入り、そこからの現場との位置関係などを本社の上司へ説明しました。
 しばれた空気に、トラピストの感じがよく似合い、気持ちがスッと引き締まるようなそんな感覚が新鮮でありました。

 今日は坂本龍馬の誕生日であり命日。もう何年も前からこの日の記事にはこのことを書き続けているような気もします。
 とりわけ、2004年のこの日には、今は亡き父の介護を一手にしていた母親がくも膜下出血で倒れたのであり、その強烈な印象が深い日でもあります。

 急遽単身赴任先の網走から帰ってきて、母が入院し父の介護受け入れ施設に空きができるまでの2週間と少しの長期休暇をとり、父の介護に初めて正対し本格的に取り組んだ、その始まりの日でした。そんなことが思い出されます。

 いや、正直、細かいことは何も思い出せないのですが、認知症傾向が顕在化してきていた頑固老人をまのあたりにし、手を焼き、焦るような心持ちになっていた・・あの感覚だけは何となくよみがえります。あの時期、もっと、何かしてあげられることはなかったんだろうか、、という逡巡の念とともに。
 
 11月は色々な意味で胸に刻まれる出来事の多い月であります。

 帰宅時、会社の駐車場の車の上には5ミリほどの積雪がありました。冬はすぐそこです。

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2009.11.03

幼い頃の記憶

11月3日その2。
 冬の道、積もった雪。父のあとをついて歩くという場面が幾度となくありました。シーンは朝だったり、夜だったり。街へ買い物、近所への用足し・・・目的は色々あったのでしょう。

 あるとき、前を行く父が雪上につけた足跡、歩幅も広いのですが、つま先が結構外側を向いていることに気がつきました。今思えばただのがに股歩きの跡なのですが、当時はなぜかそれがカッコイイと信じ込み、無理して歩幅を広げひたすら父の足形を辿り、そこに自分の足を合わせるように歩きました。
 つま先を外側に向けるのは凄く歩きづらく、持続するには相当な努力が必要だったのですが、あんな風に歩けるようになりたい、と頑張ったのを憶えています。

2009110307580000  ・・・バカなことしなきゃよかった。その結果がコレ(写真→)です。まさに雪に残った今朝の自分の足跡。あの時の父のそれ、そのまんまです。先行するランナーの素直につま先が前を向く足跡が、心底羨ましい。(^^;;;

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2009.10.25

父 一周忌

10月25日(日曜日) 
 江差からは今朝6時過ぎに出発し、朝のうちに地元に戻ってまいりました。
 親戚が徐々に集合し、住吉町の高野寺で11時半から行われる法要に余裕で間に合うように一昨日「亀しょう」へ誘った妹、弟一家、江差からの親戚の面々。10時半にはみんなで出発しました。

Pa255350 舞台は荘厳な国の重要文化財も安置される大本堂。そこでの準備の間、続々と参列者が訪れ、しばし歓談。そして本番。
 お経はいつもの調子で、真言宗の香り高き般若心境ベースのそれが延々と続く中、参列者のご焼香。そして約30分間の有り難いお勤めは終わりました。

Pa255352  舞台を五島軒本店に移し、昼食会。
 みんなでお腹一杯食事を楽しみ、三々五々、解散となりました。

 父が逝ったのは11月2日。間もなく一年ですが、一瞬にして過ぎたような、長かったような。今日、お経をしみじみと聞きながら、父が亡くなった頃のこと、その後のこと、あらためて思い返して何かの感慨に浸ったことでした。それは時間にしてトータル1分くらいかな;;;

 法要のメリットは、普段はあらためて集まることのない親戚が集まって話することのない空間を、少しのおしゃべりで埋めてくれることでしょうか。正直8月末くらいの準備段階から結構面倒でしたが、終わってしまえばまあ、良かったんではないかと思う、今日この頃であります。

去年の10月25日 城岱・大沼紅葉ツアー 
  ※まさか1年後に父親の一周忌をやるなんて夢にも思っていなかったあの日あの時・・・。

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2009.06.03

『重力ピエロ』

Jyuryokupierot 重力ピエロ/井坂幸太郎 著 (新潮文庫)

以下『 』内はmixiレビューへの投稿とマルチポストです。

『切ないほどに満ちあふれる兄弟愛、家族愛、人間愛。

身に覚えのある愛の輪郭、それを否定するものへの決定的な嫌悪感。それらに打ち震え、共感する。

一方、個人的な愛が世の秩序を凌駕することを是として表現することを、自分は、許せない。

自分自身がそうであるかどうかは全く別の話なのだが。』


 例えそれがベタベタであか抜けないとしても、最後、春は二階から降らないで、所轄の扉を叩くシーンで終われば、自分としては☆5つだったんですがね。

 でも、終わり方を除けば、なかなか清々しい爽快な物語でした。

 既に封切られているようですが、根幹は内面的な部分が大きいし、映画化には向かないと、個人的には思いますねー。

          * * *

 この一週間はとにかくスピード練習。キロ4分5秒~4分1秒で一週間続けてみました。今朝のRUNでついに体重62キロ台へ。今季最低体重を記録。こういうときこそ、ヒザや股関節の故障に要注意なんです。
 週末は少し長い距離を走って、来週はほどほどに、そして八雲ミルクロードへと繋げます。

          * * *

去年の6月3日 白夜行

 ※うん、軍配は大差で「白夜行」です。 

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2009.03.08

高野寺納骨堂でお骨納め

3月8日(日曜日) 
 昨日までの警報が嘘のように晴れ渡って暖かい朝。低気圧が去ってまるで春がやってきたかのようです。
 午前中、BAYエリアまで往復RUN約12キロ。「BAYはこだて」のお堀、清掃等のため水抜きをしているという記事を「ハコダテ150」で見ていましたが、実際、今日初めて見てきました。確かに!こんな感じ→「最近の状況(写真
 いつもと違った見慣れぬ風景は新鮮なものですね。(お堀水抜きの経緯など

 RUNは晴れてはいても、もの凄い強風の中。海風吹きさらしの巴大橋では身体を向かい風方向へ斜めにしてやっと少しずつ進めるような状況。いい汗かきました。
   
          * * *

P3085001  午後、お寺さんの納骨堂へ骨納めに。注文後やっと納骨仏壇が納入となったのです。お墓に比べれば遥かに早い納品だったのではないでしょうか。
 13時半に出発する直前、テレビでは名古屋のマラソンで高橋尚子さんがラストRUNしてたので後ろ髪ひかれる思いも、不謹慎ながらありましたが・・。

 14時からということで予約していてすぐに僧侶(今回初めてお会いする方)がお経をあげてくれたのですが、正味20分程度で終わり何となく事務的で物足りなさを感じてしまいました。こんなものか~、という。
 
 以前坊さんが実家へ来たとき言っていた「お骨は形見としてのものでしかない。魂はお位牌に入っているもの」との言葉がずっと残っていて、その意味では、お墓代わりのこの納骨仏壇には何の価値(?)があるのだろうか。と考えたり。

 となれば、そもそもお墓って何?という議論になるのであまり深くは考えられないですが。家には位牌のある仏壇、お寺の納骨堂には納骨仏壇・・・。そして近頃では亡くなった人の魂は、「お墓の中なんかに居ない、眠ってなんかいない」という斬新な風潮もあり。
 「千の風になって」の大ヒット以来、実際、お墓の売り上げが激減したという話しもききましたしね~。

 要は残された者達の気持ちの問題だよなぁ。親戚連中への体面等だけでお墓代わりの何十万円もする納骨仏壇なんて要らなかったかもなぁ。なんて考えたり。複雑です。

          * * *

去年の3月8日 どうなん・追分シーニック 

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2009.02.23

父逝去の記録

2月23日(月曜日)
 昨年末31日から小樽の実家へ帰りました。
 家内の実家では、妙に間延びした時間があったので、ずっと「記憶が新しいうちに残しておかねば」と考えながら身体が動かず実行できていなかった大事なことを実行に移すことにしました。
P2234997  道南から小樽へ場所を移し、環境が変わったことがいいきっかけになったのだと思います。さっそく駅前長崎屋の100円ショップでルーズリーフを買い求め、怒濤の如く書き始めました。
 もう記憶が薄れ、再現できない部分もあり、少々愕然としながら。
 作業は「父の死、その前後のことを記録にとどめる」。そのことでありました。

 結局、小樽では通夜の日の夕方のことまでしか書き切れず、その後のことは今まで放って置いたことからかなり記憶が曖昧です。
 それもこれも含め、まずは小樽メモの読み取りからぼちぼち始めていこうと思います。

 父が逝ったのは公称11月2日の1時7分。
 小樽メモはその前日11月1日土曜日の回顧から始まります。
 せっかくなので、その当日のBlogとして、遡ってアップする形で記録していくことにします。

メニューは以下の通り。
11月1日(土曜日)長い夜
11月2日(日曜日)おかえりなさい・・
11月3日(月曜日)仮通夜と納棺師と
11月4日(火曜日)前半 出棺、火葬場
11月4日(火曜日)後半  そして通夜会場へ
11月5日(水曜日)告別式 千の風に・・

          * * *

去年の2月23日 怒濤の攻撃・・・

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2008.11.30

上昇気流に乗るために

11月30日(日曜日)
 この11月はずっと沈んだ気分が長く続き、イベントチェックもせず、当然イベントに出かけることもなく。
 RUNの練習も完全にストップ。ただただ毎日の暮らしを淡々とこなしてきたような、色に例えると紛れもなく「灰色」な停滞した1ヶ月だったような気がしています。
 正直、月初めの出来事がこれほどまでに自分に影響を与えるとは、意外なところがあります。

 しかしあの父が、息子がこんな生活を送っているのを見て喜ぶでしょうか。ありえません。大いに悲しんでいるに違いない。徐々に、徐々に、以前の生活リズムを取り戻さなくては。低調な気分を持続するだけでは、黙っていても回復基調に乗っかっていけないのは明らかです。

 マイペースで、といいながらもセルスターターのように、始めにエンジンを強制的に回すための突出した外力は、やはり必要なのかも知れません。いや、きっと必要なのです。

 ちょっとだけ、頑張ってみよう、という気分に少しだけなりかけています。

 昨日の五稜郭タワーアトリウムでのミニコンサート鑑賞は、そんな思いを行動にしていくためのキックオフなのであります。 
 頑張りすぎず、少しだけ頑張って、上昇気流に乗っていければと思っています。

          * * *

去年の11月30日 「イカマイスター」になる! 

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2008.11.08

初七日

11月8日(土曜日)
 初七日が終わるまでということで、川崎から来てくれている妹が母につききりでいてくれる。
 精神的ダメージは誰よりも大きいため、これは助かる。しかし自分の生活もあるため、週明けにはすぐ戻るという。

Pc0747221  初七日は近郊の近親者のみ集まり、こぢんまりととりおこなわれた。仏壇はまだ無いが、仮通夜以来葬儀屋のほうで用意してくれている段ボールの祭壇や調度品が立派に代役となってくれている。段ボールと言ってもきちんと祭壇用に出来ているペーパークラフトの巨大なもので、専用の白い布を上からスッポリかぶせると全く問題ない祭壇と化す。
 
 写真は葬儀で祭壇に上げたものそのまま。別途写真立てサイズの小さなものも同じ写真で用意してくれているが、当面、大きい方が見やすいためこれを使用することとした。

 ちなみに写真は亡くなった11月2日のうちにアルバムから適当なものを選定し、葬儀屋に渡していたもので、背景なども打ち合わせでサンプルから選んだ。最近はカラー写真が多いというが、昔からのモノクロよりやはりカラーが見栄えも良く、カラーとした。撮影時期は故人がまだ脳梗塞を患う前、現役の校長だった頃のもので、いかにも昔から家族が知っている本当の「おとうさん」という印象のふっくらしてにこやかなものをあえて選んだ。15年も前のものだが、過ぎてしまえばそんな感覚がしないのも、人間のいい加減さの現れか。

 江差観音寺から来てくださった僧侶とは、一通りのお勤めのあとで昼食をとりながら懇談。実弟の高校同級生ということから、余計に話しも弾む。荘厳な真言宗のお経を唱えていた姿とはまた違った面を見て安心。
 この日も結構な降雪があったため、中山峠の具合もたずねてみた。
 「自分は常にマイペースで安全運転を心がけているので、雪は結構降って路面にも積もっていたが、あまり関係ない。普通に走っていれば特にどうってことのない峠。国道は良く整備されていますよ。」

(^^)v ほらね。(←一部の関係者しかわからないネタ;;)

 お墓やお寺は江差だと通うのが大変なこともあり、どうしたらいいか相談すると、函館市内にある3軒の真言宗系の寺を紹介してくれた。住吉町の高野寺については、今回の葬儀でお手伝い願った2人の僧侶のうちの一人が高野寺から来てくれていて、住職もよく知っているという。
 もし決めるなら、連絡しておいてくださると。江差までは大変でしょう、自分は檀家がこの近所にもあって 来るのは構わないけど、こだわらないから一番便利なように決めてくれればいいとアドバイス頂いた。 
 檀家をがめつく確保したいのがお寺なのかと偏見を持っていたが、観音寺の住職は全くそんなそぶりもなく、爽やかな僧侶であった。
 そして、結局、住吉町の観音寺へ、これからはお願いする方針とした。

           * * *

去年の11月8日 立冬といえばバナナサイダー! 
去年の11月7日 捻れ政治のツケを国民に回すな 
去年の11月6日 小咄『飲み会の幹事』 

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