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2013.03.18

高校合格の報

3月18日(月曜日)
 公立高校合格とのメッセージが、まだ使い慣れないiPhoneに娘から届いた。
 どうか、有意義な高校生活がおくれますように。

          * * *

『(中略)子どもはたまたま道端で見つけた捨て猫がかわいそうでたまらなくなって、拾ってきてしまう。しかし彼は、その子猫をいつくしむことに夢中になっている時、どこかの見知らぬ子猫や子犬や、毎晩食卓にのせられるために育てられている子牛のことには、思い及ばない。自分にとって大切なものや人にまつわる思いは、必ず身近な、生きいきとした接触の関係をとおして心の中に形成されていくものである。

(中略)すなわちまったくの純粋な人類愛、つまり各個人の地位、職務、自分自身との関係といったものとかかわりのない人類愛のような情念は人間の心にはない、ということである。たしかに、どんな人間でも、また実際、どんな感受力のある存在でも、その幸、不幸がわれわれの身近に置かれて、生き生きとした色合いで示されるときには、ある程度われわれの心を動かすのは事実である。しかしながら、こうしたことはただ共感からのみ起こるのであり、人類へのそういう普遍的な情愛の証拠にはならないのである。(『人生論』岩波文庫)

 人の感情というものは、幼い頃から、たしかにこのようにして出来上がっている。この一種の「自然過程」を否定するところに考えられた「愛」は、無理をした、自己抑制的な、血肉の殺がれた観念のうえでの「愛」に他ならず、それはいかに崇高なイメージで彩られようと、万人に規範として押しつけられるべきものではない。人はいつもそれぞれの場所で、自らの感情に忠実に、「できることをやっていくしかない」』

(「なぜ人を殺してはいけないのか~新しい倫理学のために(著:小浜逸郎/洋泉社)」P.88~89より抜粋)

          * * *

去年の3月18日 爆問Podcast制覇;
去年の3月17日 Tennessee Waltz 

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