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2009.05.23

「雨鱒の川」

5月23日(土曜日) 
 今年はテント修理中で、しかも娘がついてこないということで、洞爺湖キャンプは無し。明日早朝出発で洞爺へ向かうことにしました。

 その、壊れていたテント支柱、今日kamakaさんのアウトドア・ショップを訪ねて代替え品を受け取ってきました。
 同径・同肉厚のアルミパイプを見つけてくださって、補修方法まで伝授して頂きました。
 あとは配管屋さんへ頼んで長さ3cmばかり切ってもらって、曲がりを入れてもらえば、自分で補修できるところまで来ました。

 結局、今なら新しいテントを買えるくらいの費用になるのかな、最終的には。でもいいんです。一本の支柱が折れたくらいで他の部分は何ともないのにテントを買い換えるなんて、自分の思想・信条に反します。「愛着」って言葉がいまだに好きな古い人間ですから・・。

          * * *

Amemasunokawa_2   夏の午前中。野山の冷えた空気、木漏れ日のきらめき、カッコウの鳴き声、川のせせらぎ、水音、風の香り。
 水中。川底の砂の動き、日陰と日射しのコンストラスト、大きく見える魚のゆったりした動き。
 昼にさしかかる。徐々に高くなる虫の声、中州の砂の冷たさ、流木が乾いてゆく、日が高くなり影は短く黒く、滲んでくる汗。

 初秋の夕暮れ。質素な夕食時、蛙の大合唱、秋の虫たちの声、声、声、・・・・

 野山を駆ける、田んぼのあぜ道を歩く、川魚を探す、川の中に潜る、砂州で火にあたって暖をとる、夕暮れ時家路に向かう、開けた窓からの微風を感じて夕食を取る、豆電球の下、木の風呂へ入る、冬の一本道を歩く、樹氷の中を通る・・・

 印象深いシーンの背景を描写しはじめるときりがありません。
 自分の原体験と重なる部分が多いからか、活字を読んでいてそのまま風景が頭の中に広がる、というよりは自分が既にその世界に居る状態になってしまうのです。

 それほどこの作品の自然描写は優れています。春夏秋冬四季折々の季節の感じ方、朝昼夕晩その時々の時間の感じ方。自然の中におかれたときの状況の捉え方、その表現が秀逸。というより、作者と自分は感性が同じなのかなと思います。
 
 もしかして、こういう原体験のない人にはあまり理解されないのかも知れない。
 自分としては、この作品の自然環境中に入り込んで心平の感受性に同化できる感性を幼少期に授かることができ、心から良かった・・と思っています。

 それを思うと、我が子供達にはそれを授けてあげることが出来ていない。これは非常に悔しいことではあります。

 『雨鱒の川』(川上健一著/集英社文庫) 
 何日か前から読み始め、今日、洞爺に行かないことで空いた時間で一気に読んでしまいました。もう、彼の作品の虜になりそうです。
 クサイと言えばクサイかも知れませんが、クサイもの大好きの自分にはピッタリ。

 こういったリアリティのある普通の“ふるさと”の自然描写、それらを背景に扱うテーマは純な純な、純な恋心。ベタベタの初恋物語と言ってもいいかも知れません。
 それを、何と、全編津軽弁(に近い東北弁?)でおおくりする訳です。少年も、少女も、青年も、オヤジも、ババも、ジジもみんな。

 「なして、おがしのせ?秀二郎爺っちゃ」
 「心平、雨鱒ァ、なして雨鱒ってへるのが分がるが?」
 「うん、雨降ったおんた、水玉あるすけだじゃ」


・・・というあんべっこで進むんだじゃ(^^)

 これも自分の原体験。津軽弁と南部弁が融合した道南の漁村。いわゆる“浜言葉”環境で育った自分はこれらのセリフも大まかに理解できてしまうのです。

 ストーリー、環境、言葉の訛り。これらが全てマッチして、えもいわれぬ生々しい初恋体験を、自分はこの本の中でしてしまうのです。そして物語の折々で胸が詰まり、最後にはご多分に漏れず、号泣です。

 以前紹介した『翼はいつまでも』(2008.8.16記事「お願い、お願い、私」)も良かったですが、今回もそれに匹敵します。『ららのいた夏』はクサすぎるところもありましたがそれでも泣けました。青春スポーツ物も、素朴で透き通るような純愛ものも、川上健一は素晴らしいです。

 今日誕生日の我が娘Rioにも是非この感動をプレゼントしなければ・・(^^)

          * * *

去年の5月23日 安らかに・・  

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