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2008.03.14

『津軽』感動完読。。

3月14日(金曜日)ホワイトデー
 昨日、仕事帰りに魚長に寄ってお徳用のクッキー買って帰り、娘にあげたら大いに喜ばれた。

          * * *

 小説『津軽』。やっと本日の出張JR車中で完読。なかなか、しみじみとして、自分の気分に合う内容のお話だった。この後、太宰治は自己との戦いが激化しやがて終わりのときに向かっていくらしい。
 この『津軽』を書くための津軽旅行が太宰の生涯でもっとも穏やかで楽しく過ごせた時期だった、とあとがきの中で亀井勝一郎が語っている。

 五所川原の畑中さんちのけいちゃんに案内されて大川からお寺へ散歩のシーン。

 「・・そのお寺の裏は小高い墓地になっていて、山吹かなにかの生垣に沿うてたくさんの卒塔婆(そとば)が林のように立っていた。卒塔婆には、満月ほどの大きさで車のような黒い鉄の輪のついているのがあって、その輪をからから廻して、やがて、そのまま止まってじっと動かないならその廻した人は極楽へ行き、一旦止まりそうになってから、又からんと逆に廻れば地獄へ落ちる、とたけは言った。・・」

 乳母である「たけ」とのエピソードを思い出して、太宰はこう語った。ちなみに卒塔婆(“そとば”と打って一発で漢字変換されびっくり)とは、「死者の供養、追善のために墓地に立てる、細長い木の板」のこと。

 この卒塔婆の鉄輪というのが、自分の幼い記憶にもしっかりと残っている。もっとも、当時はその鉄輪がついている木のお墓のようなものの名称までは当然、知らなかったわけだが。Chotokuji004_2 Chotokuji003_2
 乙部町福祉センターに毎週日曜日、書道を習いに通っていたころ、近道を通ると途中に大きな寺があった。そのお寺の前にあったのが今思えばこの卒塔婆だった。
 鉄輪には軸から放射状十字に鉄の板がついていて(自転車で言えばスポークの位置)仲間内では輪を廻して止まったときに、このスポークが2本見えると吉、1本しか見えないときは凶としていたような記憶がある。

 (写真は後日3月23日、実際に乙部町の長徳寺へ行って、その卒塔婆を撮影したもの。錆びた鉄輪がおそらく腐食で卒塔婆から外れ、脇の石碑の上に置いてありました。)

 『津軽』の中で太宰の「たけ」との思い出として語られるこのシーンによって、自分は45歳の今、正式な卒塔婆鉄輪の使い方がわかった。感無量。

 ほかにも、「たけにも昔噺(むがしこ)語らせて・・・」
 昔、父親が寝床でお話をよく語ってくれたものだった。たいていの場合、本などは無く、ストーリーは父の頭の中にあった。
 そのころ、必ず、昔話のことを『むがす(し)こ』と言っていたのを思い出した。やはり、津軽弁は北海道へ渡り、道南でしっかりと根付いていたのだ。
 (と、もっともらしく語らずとも、道南の方言のそこかしこに津軽弁と南部弁の混ざった言葉が出てくることは、とうに知っていたのだが。この件についてはあらためていつか語らなくては)

          * * *

 さて、今札幌出張中です。オホーツク時代によく聞いていたJAZZバンド「PM8」でBASSを担当していて今は札幌で活動中の粟谷巧君がデイリーライブに出るという情報をHPで得ていたので、本当は「SLOW BOAT」へ行く予定でしたが、雨が降っているのでススキノまで出ていくのが億劫になってやめてしまいました。

 それで、急遽、2007年1月~8月までのBlog記事について、「地域協働・シーニック」と「家庭菜園」へのカテゴリ付けをする作業をちまちまとしてました。本当は12月までやるつもりでしたが、えらい大変な作業で、だんだん飽きてきたので8月まででギブアップ。
 残り(2007年9月~12月分と2005年9月~2006年12月分)は、またあらためて暇を見て作業します。(2007.9~12は2009.9.15に作業完了)

 で、作業に飽きたので、今日の記事『津軽』を書いていたところです。これから風呂入って寝ます。

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